2009年09月13日

あの1枚、この1節 1曲目「麹町パンデミック」

「幸福論」椎名林檎 にみる可愛げのない恋わずらい

まさか第1回に初期以外はほとんど聞いたことのない、この方をとりあげることになろうとは。
自分でも驚いているが、まあそんなもんだろう。
きっかけはうだうだ音楽のこと話す前に、自分の音楽遍歴を振り返ろうかと思い立ち、小学生時代の頃を振り返っていた作業にある。
結局その企画自体は余裕で頓挫です。そんなかったるいことやってられるか。

ホントに初期しか聞いていないし、最近の活動とかにもあんまり興味もない僕がいっていいものか、というところなんですが、「歌舞伎町の女王」が一番好きなんですよ。3分間の物語としてしっかりと成立しているところと、過剰すぎず、嫌味でないくらいの適度さで記号がちりばめられたサウンドと。


実際に彼女に初めて触れた当時は、まだまだちびっこでしたから、「ギブス」が好きでした。わかりやすいオルタナ系のサウンドと、これまた分かりやすい「カートとコートニー」。単純にかっこいいなーとか思ってました。

ただ、今考えると妙なまでにストレートな表現なんですよね。まあシングルとして非常に優秀だともいえますが。

特に2ndの辺りかと記憶してますが、90年代の末期から2000年代初頭というのは、ねじれのようなものがふつふつと表面化しかけている時で、彼女もその潮流の中でアイコンとして消費されかけてた部分があったかと思うのですが、その後のキャリアを見るにかなり上手にそれを振り切ったようで。やはり地力がある人は違うなあ。


閑話休題。というか本題へ。


冒頭の自分の遍歴を振り返る作業の中で何年振りかに耳にした「幸福論」の中に当時はなんとなく聞き流していた非常に示唆に富んだ一節がありまして。


(このPVからはいろんな人の思惑が見え隠れしてますよね…w)

時の流れと空の色に 何も望みはしないように 素顔で泣いて笑う君に エナジイを燃やすだけなのです

ふんふんと聴いていると、いわゆる「そのままの君を愛すよ」(こんなものクソクラエである)的な歌にも聞こえるがそうではない。

本当に時の流れや空の色に、我々は何も望まないのだろうか。

答えは否。
だって、もっと時間が欲しいなあと考えたり、この時間がもっと続いたらいいのになんて思うことや、大切な約束があるから明日は晴れてほしいだとか考えたり注文をつけることなんて、日常茶飯事じゃないか。

これはどういうことなんだろう。

思うに、結局何も求めていないつもりでもどこかにはそういう側面があって、いずれ想いが成就して愛を育んでいくことになったとしたら、必ずやそれは表出することになるんだよ、ということではないかと。

でも、特に10代の、恋っていうのはそんなもんで、なんかいろんなものすっ飛ばしてすきすきすきみたいなものでしょう。
あるいはその辺りをどこかで分かっていながら、それに絡めとられないパワーを持ち合わせているとでも言えるのかもしれない。
だから、この曲っていうのは「等身大の」とかそういう陳腐な形容詞からはかけ離れたところにある、とっても大人な作品。
発表時19歳。その後の活躍を予感させる成熟した視座をずっと彼女は持ち合わせていたのだろう。

エターナルラヴを提示することは、それ即ち「永遠」を肯定することであり、ひいてはどんな場面でも揺らぐことのない「個」が自らのうちに備わっているとの意識へもつながり、害悪でしかないとやはり今でも考えている。
そういう意味でも、やはり彼女が単純なアイコン化を華麗に回避したことは必然であったのだろうと思わざるを得ない。

author:みかんぱ

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