2010年09月21日

特集?「再始動」

停止に至る経緯

そもそも、再開するにあたっては「なぜ停止してしまったのか」を語る必要がある。
全ては編集長である僕の怠惰さに回収されるのだが…。

大きく分けて以下の2点。
@フヒヒ私生活がありませんでした
A「すき」という感情そのものにフォーカスした共通言語で断絶を越え、日常に回帰するという流れがあまりにも生まれなさすぎて嫌になった。

@に関してはセルフマネジメントのでき無さ加減があまりにもひどかった…言い訳のしようもございません。1年目はがむしゃらに働けとはよく言ったものだ。殺す気か。でも、その言説は正しい。

Aはもう本当にどうしようかと思うくらいに時代の空気がピクリともしなかった。しなかったように感じたというのが正しいか。別に僕にはかけらほどの影響力もないし、持ちたいとも思わないが、さすがにあそこまで現代に対する憎悪を抱きながら、そして、ごくごく普通でありきたりな願いによってそれは解放されるにも関わらず、光が見えないというのは相当にストレスフルだった。今思えば、Twitterをいったん離れたのもそこが一枚かんでいた気がする。


では、このタイミングでなぜ再開なのか。


「否定からのそれでも」の先にあった「連帯への憧憬」

第一の理由はやはり抱えたモヤモヤと焦燥感をレジュメできたというのが大きい。
http://d.hatena.ne.jp/mikanpa/20100914/1284481452

そしてここにきてようやく「日常」に回帰し、歪んだ潔癖感にノーを突きつける表現が増えてきたことが2つ目。

そして、3つ目はこの手からこぼれ落ちたものたちと向き合い、拾いあげていこう、この先の道のりで手にしていこうとようやく心から思えたこと。

欠落を認めるのは、辛かった。でも、認めてしまえばこっちのものだ。ずっと「日々は続く」と言い続けたのだから。

「今日は昨日みたい? 明日は今日みたい? 大丈夫 大丈夫 楽しかったら大正解」というラインに、それを生んだ作品に、日常に回帰しだした胎動に、断絶を越えていく方向に向かいだした表現に、ありがとう。

明日は、僕の背中をトドメに押してくれた編集部員のエントリをお送りする。視線を同じくする仲間の言葉だ。


「信頼」が傍らにある「日常」を模索する動きは、もしかするとこれが最後なのかもしれない。
がんばれ、僕。がんばろう、僕ら。全力で、笑顔になろう。



 

author:みかんぱ

posted by 編集部 at 01:43| Comment(0) | あの1枚、この1節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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