2009年09月01日

エッセー音型 vol.1「初回放送」

東北の方では「イッセー尾形」をかくなまりにけるとぞなむいひける。

 なんてつまらないジョークはさておいて、このタイトルがほんの少し示すように、音楽を内容の中心にすえたエッセイなんかつらつら書いてゆこうかと思います。
 さて、はじめまして。つまらないジョーク(本日二回目)で自己紹介がおくれましたが、わたしはソニドリという名前で、みかんぱさんが提供したここに文章を書かせていただくことになった者です。ありがたい話ですね。生きててよかった。と言うほどでもありませんが。ふひひ。
 とまぁ、わたしの感謝の気持ちが耳からベジョリと這い出て、地球を埋め尽くす前に本題に移ります。
 
 せっかくの初回、というわけで「初体験の話」をしよう。なんて思います。
 あ、ちょっとそこのお嬢さんうつむいちゃやーよ。あ、ホントに。あの、ええ。すいません。音楽の話です。
 ごめんなさい。音楽の話です。(強調)
 
 誰しも、というわけではありませんが、多くの人は音楽に初めて触れた瞬間を持っているのだと思います。
 記憶には無いかもしれません、ただ体験したということだけを身体のどこかで感じるイメージ。そんなもので構いません。
 記憶にあるならば思い浮かべてみるのも良いでしょう。「胎教をおぼえている」なんて素敵な方もいるかもしれません。
 自分ははっきり言って「よく覚えていません」。今でこそ、音楽を仕事にしたいくらいの音楽好きではありますが、幼い頃は特に図抜けた興味を示したわけではありませんでした。
 小学生になる前後、光ゲンジが好きだった記憶がありますけれど、そこまで記憶が明瞭にならないと音楽体験についてははっきりしません。
 ローラースケートでかっこよくてヒーローでキラキラまぶしかった、アイドルは見ている人を引き込み、巻き込む存在なのだろう。そういう認識を抱かせるにいたった彼らのお話は、また時をあらためるとして……
 それなりに音楽を聴いていると、懐古風の音楽を聴いたときのノスタルジーとはまた違う、記憶のどこかを刺激するノスタルジーを喚起させる作品に出会うことがあります。わたしの場合は、それがほわほわしたシンセサイザーの音色です。モノフォニックで鳴らされるようなシンプルな音色。もしかしたら同じ年頃の方は同じような思いを抱くかもしれません。
 筆者は任天堂のファミリーコンピュータが生まれた前後、この世に生を受けました。恐らくではありますが、自分の中にあるはじめての音楽体験というのは、ファミコンのあの矩形波(ぽーぽー)や三角波(べーべー)のチープな音色達なんじゃないかと思います。
 勿論、記憶が無いほどの年齢の話なので、その頃は父や母、そんな誰かがプレイするのを横で見ていたのだと思いますが。
 ただ、ファミコンの音楽を今聴いて感動出来るかと言えば、案外そうでもなかったりして、寂しいような面白いような、変な気持ちになります。
 わたしにとっての初めての音楽体験は、自身が成長することで自分のなかに許容されていった趣味、その一つになって自分の心の琴線辺りをふわふわ漂ているのでしょう。

 初期衝動は忘れてならないと言いますが、しかし、そういったものは存外身体に染み込んでいて、探しても見えづらくなってるだけなんじゃないかなあ。なんて。人が何かを愛す時、自分の内側に因を排することが出来ないように、人は芸術を通して自分の世界をのぞき見ることが出来るように感じます。
 もしかしたら、見つかりづらくなった記憶、それに近いものに触れられるかもしれません。
 だから凄いとは思いませんが、音楽の力ってのも侮れないもんですよ、おぜうさん。
 
 音(oto)はnoteでありtoneであり音(ne)であり。音楽はわたしたちを育てたおとん(otone)の一つなんだよ。
 なんて、つまらない冗談はさておいて、これからもよろしくお願いしますね。

author:ソニドリ

posted by 編集部 at 23:59| Comment(0) | エッセー音型(1期のみ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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