2009年09月15日

エッセー音型 vol.2「すみれSeptember LOVELESS」

 九月になりました。もういくつ寝るとお正月ですね。(だいたい100日強)
 こんなえせエッセイを読んでくださる心の広い御仁には、プロポリスなりプロテインなりを飲用していただき、ぜひとも多く年を重ねていただきたいわけですが、しかしあいつらはプロって名乗っている割に存在はインディー系だよねとかなんとか。
 そんなくだらない冗談はさておき、迷信に曰くのところ、来年の話をすると鬼が笑うそうですね。まあ、正しくは寿命を司る鬼の話に由来するそうですが、笑っているお茶目な鬼を見てみたいと思うので、今回のテーマは、来年の話……というよりも未来の話をさせていただきます。

 それなりに音楽を聴いているつもりでも、なかなか音楽の流行りは予測出来ないもので、昨年ではアメリカのVampire Weekendなんてバンドを「こいつは大ブレイクする!」などと吹聴して回り、友人周辺からおてんばなお嬢ちゃんを見るような優しい瞳で見られてしまいました。今年はDirty Projectorsをガン推ししているので、来年あたりはどういう目で見られるか実に見物です。
 流行り廃りと言えば、「ロックは死んだ」とか「ロックンロールが戻って来た」とか、そういう某国の「転がっている石」誌の用いそうなクリシェを思い出しますが、特にロックという音楽に大きな興廃を感じない自分にとってはあまり大きな意味を感じ取れません。ロックが生まれた時点では革命だったかも知れませんが、ロックは様々な大きな動きを経て、それなりに落ち着ける場所を獲得したのではないかと思います。もちろんそれは墓場の中じゃなく、公園のベンチとか、ライブハウスとか、車の中とか自室とかフェスの会場とか、そういった場所に深くはあらねど広く存在してる感じに。
 とは言っても、音楽の未来について考えるのは難しくも楽しいもので、「この音楽は新しい!」と思う感性が個々で違うために、人と話していても大して発展的な纏まりを見せないのがまた面白く感じるわけです。
 ただ、やはり今まで人と話して来た「音楽の未来」、その各々に言えるのは、自分の持っている音楽的基盤というのに案外依存しているという事です。
 自分の場合はSufjan Stevensというアーティストに最も未来的な音楽像を見ていますが、彼自身の持つ音楽の要素というのは、分解すれば「電子系」「トラッド(フォーク・カントリー)」「オルタナティブ(80?90'sギターロック的な意味で)」「クラシック」というイメージで、どれを見ても自分が親しんだものの融合だったりします。
 他の人では、いわゆる「ミクスチャー系」の音楽の発展から未来を見ている人もいましたが、それもやはりパーツで分解すると案外きれいに分解出来るもので、「キューバ系の民族音楽」「ラウドロック」「ヒップホップ」あたりに落ち着いたりして、訊いてみれば、やはり本人の親しんだ音楽の要素だったようです。

 そんな話をしていると、現代の人はなんとなく「過去を通して未来を見る」そんな部分があるのかなあ、なんて思う事があります。未来を感じようとする、その心の一端は常に過去へと橋を架けている。そんな感じで。
 ただ、過去を参照出来ないような劇的な革命が、いつかどこかで起こること。それもまた、音楽を聴いてゆく楽しみの一つであり、何だかんだと新しい音楽にホイホイ手を出す原動力になるんだろうと思います。

 来年も楽しく音楽を聴けたらいいなあ。
 でゎょぃぉ年ぉ。
 って、違うわ! まだ早いっつーの!
 Weezer新作もYo La Tengo新作もThe Flaming Lips新作もDaniel Johnston新作もまだ聴いてないっつーの。
 これから年末にかけてマジでMikaとかDevendra Banhartとか注目作目白押しなので、もう来年の話しとかしてる場合じゃない的っつーのね!
 そら鬼に笑われるわね!
 ではでは、遠く、時の輪の接する処で、また逢いましょう。(BGMはDaftpunkのDiscoveryで)

author:ソニドリ

posted by 編集部 at 00:00| Comment(0) | エッセー音型(1期のみ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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