2010年01月24日

エッセー音型 vol.6「シックスセンス・ノン・ザ・リッチャー」

第六回です。
シックス・センスじゃなければ、ハーレイ・ジョエル・オスメントでもなウイッシュ!
最近、つまらないジョークが浮かびません。ひぃ、すみません!つまらなくない方はもっと浮かびませんごめんなさい!
ともあれ、これは正月ボケかも知れませんね。(責任転嫁)

さて、和尚が2でお正月です。言ってみればツインドラムの月です。ダブル木魚の爆音系ロック和尚です。
皆様、正月はどう過ごされたでしょうか?
自分は今年、寝正月が出来ませんでした。予定が詰まっていて家にほとんどいなかったように思います。
家に帰れない分、車で音楽を聴くことが多かったです。特に、自分の編集したドライブ向け音楽ベストなど。
ネタが思いつかないので今回は、なんとなく自分の編集CDの作り方でも紹介しようかなと思います。


1.まず、空のCD-Rを用意します。

2.服を脱ぎます。

3.服を着ます。

4.ちょっとだけ、優しいきもちになれます。

5.CD-RをPCにぶちこみます。

6.読み込むまでの時間つぶしにカップラーメンを作る必要はありません。

7.それでもカップラーメンを作ってしまった時は、砂時計をひっくり返しておきましょう。

8.iTunesなりWindows Media Playerなりご贔屓のプレイヤーを起動します。

9.プレイリストへ、テーマに沿って好きな曲を20〜30曲くらいぶちこみます。

10.CDで20曲以上はちょっと多い気がするので、どういう流れにしようかイメージしつつ曲数を絞ってゆきます。

11.15曲くらいまで減らしたところで、最初と最後の曲を決めます。特にお気に入りか有名どころを持って来るとテンションが上がります。

12.それから、4の倍数くらいの曲順に山場となりそうな盛り上がる曲を持ってきて、収録曲を聴きながら、間を曲のテンションの落差が出ないように並べます。

13.ラーメンがのびています。修行が足りませんね。

14.全体の形が揃ったかなと思ったら、曲の終わりと次の曲の始まりの繋がり方に違和感ないか確認して、OKならCDを焼いてみます。ジミヘン的な意味じゃありません。

15.焼き上がりまで時間がかかりますので、こちらに既に焼き上がったものがあります。

16.レッツプレイ。高らかに吠えます。『NO MUSIC,NO LIFE!!!』

17.隣人に「うるさい」と言われます。

18.「ひぃ、ごめんなさい!」

19.編集したCDとのびたラーメンをお詫びに持っていきます。

20.仲良くなります。


こんな感じです。音楽の力を持ってすれば人と人との間が簡単に繋がりますねっ。これを読んだ方は早速、「これはのろいのCDです。このCDを聴いた人は、同じ内容のCDを五枚作ってそれを配り終えない限り、不幸につきまとわれる事になります」的な旨のCDを作って人と繋がってみたらいかがでしょうか。
いずれホントにシックス・センスを持つ人と繋がれる……カモ?

つまらない冗談はさておき、今年も中身のつまらない記事ですが、よろしくお願いしますね。
ではでは、遠く、時の輪の接する処で、また逢いましょう。(BGMはSixpence none the RicherのKiss Meで)

author:ソニドリ

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2009年12月22日

エッセー音型 vol.5「DAIGO」

第五回です。
でっかい誤解でもなければ「ウィッシュ」言ってるタレント兼ミュージシャンのアノ人が登場する回でもなウイッシュ!

さて、街中では「うぃーうぃっしゅゆーあめりくりすます」が流れたり、山下達郎の名曲が流れたり、CMではその奥さんの曲なんかがチキンだか七面鳥の葬送行進曲として流れています。やっぱり騒がしさと穏やかさと、どことなく終わりのようなものを感じて、胸の一部が切なくなる気持ちになる、そんなクリスマスソングたち。
自分だったら、やはり欧米の人たちが家の中で家族や友人と聴いてそうな、少しだけ神聖で、少しだけ高揚感があって、少しだけ距離の近さを感じるようなクリスマスソングが好きです。
というわけで今回は趣を変え、個人的にオススメのクリスマスソングを紹介しようかと思います。

やはり、一曲目におすすめしてしまうのはJohn Lennon & Yoko Onoの名曲「Happy Chritmas(War is Over)」
独特の包容力とか優しさを持った曲です。コーラスも壮大でゴスペル的ではありますが人の手触りや温かみがあって、やはり聴き手の傍に寄り添うような曲だと思います。

次におすすめするのがThe Beach Boysの発表したクリスマスアルバムから「We Three Kings of Orient Are」
この曲は賛美歌の定番曲で、キリスト降誕の際あらわれた東方の三賢者に関する歌だそうです。ちょうどこのクリスマスアルバムの制作された時期がThe Beach Boysにとっての転換期にあたる感じで、前半と後半でかなり趣の違うアルバムなんですが、こちらが収録された後半はセッションミュージシャンを多数呼び音楽的な広がりが生まれています。その広がりとビーチボーイズらしい美しいコーラスワークが、とてもよくはまっていて、聴いてて惚れ惚れするような内容です。「We Three Kings〜」から楽しげなクリスマス定番曲「サンタが街にやってくる」へ繋がっていく曲の流れも実に素敵です。というわけで、このアルバムはアルバム全体でおすすめだったりします。

続きまして賛美歌の流れではムーディ・ブルースの「What Child is This」なんかも素敵な曲です。この曲はグリーンスリーブスでもある曲なのですが、賛美歌用に歌詞が変えられている曲です。ただ、こちらは今だと手に入りにくい気もします。
なので、個人的には原曲が同じであるスフィアン・スティーブンスの「What Child is This Anyway」をおすすめしたくなります。こちらは今まで挙げたのとは違い、かなり最近の曲になりますが、その分手に入りやすいのではないかと。この人のクリスマスアルバムは5枚組42曲約3000円というヘンテコかつ手抜き無しの素敵なアルバムなので、レコード店などで見つけたら激しくマストバイを推奨しています。

というわけで、クリスマスソングの中でも、とりわけ人間っぽい体温を個人的に感じる曲を紹介してきましたが、クリスマスに感じたり求めるものというのは当然住む地域によって違えば、過ごしかたによっても大きく変わってくると思います。ただ、そんな中で少しでも読んだ方のおもう「クリスマス」を過ごせる手助けが出来たらな、という今回の更新でした。

自分ですか。一人で過ごしますよほっといてくださいよもう!……とまあ、今回挙げたのは一人で過ごすクリスマスにもあったかい曲ばかりだと思うので、これを聴きながらまったりとした気持ちで新年を迎えずに過ごせればいいなと思います。

ではでは、遠く、時の輪の接する処で、また逢いましょう。(BGMはDaftpunkのDiscoveryで)

author:ソニドリ


 
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2009年09月29日

エッセー音型 vol.3「サウンドスケベ」

第三回目です。

 仏の顔も三度まで、と言います。そろそろ、読んでくださる方のお顔を想像すると逃げてしまいたい気持ちになる次第です。
 「いい加減にしてください」と思う方、「毎回、白い目で読ませていただいてます」という方は、是非、下記の宛先までハゲ増し(ストレスで)のお便りをどうぞよろしくお願いします。(嘘です)
 最近ダイエットのために、筋トレしたり、ランニング状態で足を止めたりなどしているわけですが、やはりランニング中なども音楽を携帯して聴いてしまいます。仕方ありません。音楽、好きです。
 ランニング時は少しアップテンポな曲を選んだりするわけですが、やはり、音楽をよく聴く方はシチュエーションや自分の気分に合わせた音楽選びってものをすると思うんです。
 というわけで、今回は「自分に合わせる音楽選び」というテーマでお届けします。

 音楽には、各々、それを聴いて浮かぶ像というのがあります。
 それは平面の正方形かも知れませんし、ダリの絵画のような、一種の現実を突き詰めたような不思議な世界かもしれません、いつか歩いた風景を想う方もいれば、単なるスペクトラムアナライザーの動きを思い浮かべる方もいると思います。
 また、サウンドスケープの観点から言えば、音に対する環境というのも、重要な要素でしょう。
 自分が以前乗っていた車ではオーディオがカセットテープで、家で録音した私的ベスト盤を車の中で聴いていたわけですが、その車、車内の吸音が悪く、音が非常に反射しやすいんですね。特に、Yo La Tengoの「Today is the Day」なんて曲を聴いてる時は、音は反射するわ、定在波になるわ、車のどっかのパーツの共振周波数になるわで、ある意味ヒドい環境なのですが、逆にそれがドローンノイズっぽく聞こえたり、音が空間を埋め尽くす感じが素敵だったりして逆に好きだったわけです。
 そんな経験があるので、音楽を聴く環境がハイファイであればあるほど良いとは思いません。創作者の意図には近くなるのでしょうが、押し付けられる理由はありません。受け取り方は自由なので、色んな環境で聴いてみて合うものを選ぶ事が大事に思えます。
 さて、先述の「Today is the Day」ですが、自分はこの曲、梅雨にもっともに合う曲として聴いています。人によっては夏の終わりという意見もよく聞きますし、雪の日に聴いても面白いかも知れません。
Whereabouts 季節に合う曲やアルバムというのはやはりあるもので、この時期だとRon SexsmithのWhereaboutsなんかがジャケットからすごく秋らしくて、何度も聴いてしまいます。
 とは言え、それもこれも気分が盛り下がってるときに聴くと、ただ沈鬱な気分になるだけ、という面もありまして、気分が落ちてる時はもっと、重かったり激しい曲が身体に合ったりする日もありますね。どうしても一つの作品だけじゃ、全ての気分をカバー出来ないように思いますし、本気で素敵な気分になれるアルバムに出会うのはなかなか簡単なものでもありません。
 男女や人間関係もそうでしょうが、出会う事を恐れずに色々な音楽に手を出してゆくことが、自分に合った音楽を見つける良い手段だと思います。
 時期もちょうどよく、「芸術の秋」でございます。いっそ中古レコード店でも良いと思いますので、全く興味のないジャンルや、ジャケットだけ気に入ったようなアルバムを手に取ってみても良いかも知れませんね。

 なんだか、今回は説教臭い気がしますが、たまにはいいですよね?
 え、仏の顔もスリーアウトですか。ひぃ、すいません!
 ではでは、遠く、時の輪の接する処で、また逢いましょう。(この挨拶気に入りました)

author:ソニドリ


 
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2009年09月15日

エッセー音型 vol.2「すみれSeptember LOVELESS」

 九月になりました。もういくつ寝るとお正月ですね。(だいたい100日強)
 こんなえせエッセイを読んでくださる心の広い御仁には、プロポリスなりプロテインなりを飲用していただき、ぜひとも多く年を重ねていただきたいわけですが、しかしあいつらはプロって名乗っている割に存在はインディー系だよねとかなんとか。
 そんなくだらない冗談はさておき、迷信に曰くのところ、来年の話をすると鬼が笑うそうですね。まあ、正しくは寿命を司る鬼の話に由来するそうですが、笑っているお茶目な鬼を見てみたいと思うので、今回のテーマは、来年の話……というよりも未来の話をさせていただきます。

 それなりに音楽を聴いているつもりでも、なかなか音楽の流行りは予測出来ないもので、昨年ではアメリカのVampire Weekendなんてバンドを「こいつは大ブレイクする!」などと吹聴して回り、友人周辺からおてんばなお嬢ちゃんを見るような優しい瞳で見られてしまいました。今年はDirty Projectorsをガン推ししているので、来年あたりはどういう目で見られるか実に見物です。
 流行り廃りと言えば、「ロックは死んだ」とか「ロックンロールが戻って来た」とか、そういう某国の「転がっている石」誌の用いそうなクリシェを思い出しますが、特にロックという音楽に大きな興廃を感じない自分にとってはあまり大きな意味を感じ取れません。ロックが生まれた時点では革命だったかも知れませんが、ロックは様々な大きな動きを経て、それなりに落ち着ける場所を獲得したのではないかと思います。もちろんそれは墓場の中じゃなく、公園のベンチとか、ライブハウスとか、車の中とか自室とかフェスの会場とか、そういった場所に深くはあらねど広く存在してる感じに。
 とは言っても、音楽の未来について考えるのは難しくも楽しいもので、「この音楽は新しい!」と思う感性が個々で違うために、人と話していても大して発展的な纏まりを見せないのがまた面白く感じるわけです。
 ただ、やはり今まで人と話して来た「音楽の未来」、その各々に言えるのは、自分の持っている音楽的基盤というのに案外依存しているという事です。
 自分の場合はSufjan Stevensというアーティストに最も未来的な音楽像を見ていますが、彼自身の持つ音楽の要素というのは、分解すれば「電子系」「トラッド(フォーク・カントリー)」「オルタナティブ(80?90'sギターロック的な意味で)」「クラシック」というイメージで、どれを見ても自分が親しんだものの融合だったりします。
 他の人では、いわゆる「ミクスチャー系」の音楽の発展から未来を見ている人もいましたが、それもやはりパーツで分解すると案外きれいに分解出来るもので、「キューバ系の民族音楽」「ラウドロック」「ヒップホップ」あたりに落ち着いたりして、訊いてみれば、やはり本人の親しんだ音楽の要素だったようです。

 そんな話をしていると、現代の人はなんとなく「過去を通して未来を見る」そんな部分があるのかなあ、なんて思う事があります。未来を感じようとする、その心の一端は常に過去へと橋を架けている。そんな感じで。
 ただ、過去を参照出来ないような劇的な革命が、いつかどこかで起こること。それもまた、音楽を聴いてゆく楽しみの一つであり、何だかんだと新しい音楽にホイホイ手を出す原動力になるんだろうと思います。

 来年も楽しく音楽を聴けたらいいなあ。
 でゎょぃぉ年ぉ。
 って、違うわ! まだ早いっつーの!
 Weezer新作もYo La Tengo新作もThe Flaming Lips新作もDaniel Johnston新作もまだ聴いてないっつーの。
 これから年末にかけてマジでMikaとかDevendra Banhartとか注目作目白押しなので、もう来年の話しとかしてる場合じゃない的っつーのね!
 そら鬼に笑われるわね!
 ではでは、遠く、時の輪の接する処で、また逢いましょう。(BGMはDaftpunkのDiscoveryで)

author:ソニドリ

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2009年09月01日

エッセー音型 vol.1「初回放送」

東北の方では「イッセー尾形」をかくなまりにけるとぞなむいひける。

 なんてつまらないジョークはさておいて、このタイトルがほんの少し示すように、音楽を内容の中心にすえたエッセイなんかつらつら書いてゆこうかと思います。
 さて、はじめまして。つまらないジョーク(本日二回目)で自己紹介がおくれましたが、わたしはソニドリという名前で、みかんぱさんが提供したここに文章を書かせていただくことになった者です。ありがたい話ですね。生きててよかった。と言うほどでもありませんが。ふひひ。
 とまぁ、わたしの感謝の気持ちが耳からベジョリと這い出て、地球を埋め尽くす前に本題に移ります。
 
 せっかくの初回、というわけで「初体験の話」をしよう。なんて思います。
 あ、ちょっとそこのお嬢さんうつむいちゃやーよ。あ、ホントに。あの、ええ。すいません。音楽の話です。
 ごめんなさい。音楽の話です。(強調)
 
 誰しも、というわけではありませんが、多くの人は音楽に初めて触れた瞬間を持っているのだと思います。
 記憶には無いかもしれません、ただ体験したということだけを身体のどこかで感じるイメージ。そんなもので構いません。
 記憶にあるならば思い浮かべてみるのも良いでしょう。「胎教をおぼえている」なんて素敵な方もいるかもしれません。
 自分ははっきり言って「よく覚えていません」。今でこそ、音楽を仕事にしたいくらいの音楽好きではありますが、幼い頃は特に図抜けた興味を示したわけではありませんでした。
 小学生になる前後、光ゲンジが好きだった記憶がありますけれど、そこまで記憶が明瞭にならないと音楽体験についてははっきりしません。
 ローラースケートでかっこよくてヒーローでキラキラまぶしかった、アイドルは見ている人を引き込み、巻き込む存在なのだろう。そういう認識を抱かせるにいたった彼らのお話は、また時をあらためるとして……
 それなりに音楽を聴いていると、懐古風の音楽を聴いたときのノスタルジーとはまた違う、記憶のどこかを刺激するノスタルジーを喚起させる作品に出会うことがあります。わたしの場合は、それがほわほわしたシンセサイザーの音色です。モノフォニックで鳴らされるようなシンプルな音色。もしかしたら同じ年頃の方は同じような思いを抱くかもしれません。
 筆者は任天堂のファミリーコンピュータが生まれた前後、この世に生を受けました。恐らくではありますが、自分の中にあるはじめての音楽体験というのは、ファミコンのあの矩形波(ぽーぽー)や三角波(べーべー)のチープな音色達なんじゃないかと思います。
 勿論、記憶が無いほどの年齢の話なので、その頃は父や母、そんな誰かがプレイするのを横で見ていたのだと思いますが。
 ただ、ファミコンの音楽を今聴いて感動出来るかと言えば、案外そうでもなかったりして、寂しいような面白いような、変な気持ちになります。
 わたしにとっての初めての音楽体験は、自身が成長することで自分のなかに許容されていった趣味、その一つになって自分の心の琴線辺りをふわふわ漂ているのでしょう。

 初期衝動は忘れてならないと言いますが、しかし、そういったものは存外身体に染み込んでいて、探しても見えづらくなってるだけなんじゃないかなあ。なんて。人が何かを愛す時、自分の内側に因を排することが出来ないように、人は芸術を通して自分の世界をのぞき見ることが出来るように感じます。
 もしかしたら、見つかりづらくなった記憶、それに近いものに触れられるかもしれません。
 だから凄いとは思いませんが、音楽の力ってのも侮れないもんですよ、おぜうさん。
 
 音(oto)はnoteでありtoneであり音(ne)であり。音楽はわたしたちを育てたおとん(otone)の一つなんだよ。
 なんて、つまらない冗談はさておいて、これからもよろしくお願いしますね。

author:ソニドリ

posted by 編集部 at 23:59| Comment(0) | エッセー音型(1期のみ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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